きくみるはなすかかわりあう有無ノ一坐の生駒石切400日間円坐2026
◆ 有無ノ一坐 坐長 橋本久仁彦より宣言文
新年明けましておめでとうございます。
昨日、2025年12月31日に終了した除夜の円坐の中で、大阪城へ向かって置かせていただいた「影舞光景」を、2026年の最初の日に掲げたいと思います。
円坐は国籍や民族を問わず、あるいは時代や生死も問わず、縁あって集まった者が何もせずにただ坐ることから始まります。
影舞と未二観はふたりの人間の、ことばとことば、指先と指先がほんの少し、蝶の羽と羽のようにふれあうことから始まります。
そして、今目の前にいる「大勢の中のその人」と、「その人が生まれ育った見知らぬ外国」が、「わたしのたったひとりのあなた」に変容し、わたしと同じ「ひとつのふるさとに還る人」に成って往きます。
「成って往く」のですから、その場だけの技法的なコミュニケーションではなく、その人と私の実存に向かって出発する長い冒険の旅路の始まりになります。
僕にとって新年に昇る「太陽」とは、円坐に坐る「あなた」の実存のことです。
「あなた」の実存がなければ、太陽がいくつ昇っても意味はありません。
太陽はいつか燃え尽きますが、あなたとわたしの実存的なかかわりあいは太陽の明滅を超えて続きます。
円坐は昼夜や季節を繰り返して続くこの世界や、大自然のかかわりあいの写し絵です。
影舞は言葉や肉体の区別を超えて紡がれる、ひとつの大きな物語です。
未二観は「8分間」や「15分間」の時空単位でかかわりあう、ふたりの実存の約束が発効する時間です。
2026年3月22日から2027年の3月28日まで、毎月一度の円坐を13か月間連続して行う「きくみるはなすかかわりあう~有無ノ一坐の生駒石切400日間円坐」を開催いたします。
同一メンバーの円坐衆で13か月間、13回に渡る連続円坐の守人は、すべて有無ノ一坐の四人、橋本久仁彦、松岡弘子、橋本仁美、橋本悠が務めます。
円坐衆にとって円坐は日常生活のすべてと重なる空間です。
円坐は我々がこの世に生まれて他者とかかわりあい、生きて死んで往く現実をごまかさない成立根拠になります。
円坐の中で、それがわたしだと思って生きてきた個人中心のアイデンティティは揺らぎ、反転していきます。
そして、わたしとすべての他者との実存的なかかわりあいという大きな物語の幕が上がる時、その自覚と態度が「円坐舞台」になるのです。
大阪城を臨むふたりの影舞の「指の運び」が一瞬も途切れず、往還しながらひとつの生きた位相空間の舞台として実現して往くように、13か月間に渡って昼夜季節を貫き、ひとつの大きな円坐舞台が往還し、実現して往きます。
今まで本当には、人とかかわっては来なかったとひそかに感じている方がおられるならば、ぜひご一緒したいと思っています。
その感覚は、人とかかわりあいになるための大切な宝石であり、真実の魂の輝きだからです。
人とかかわることは専門家として十分やってきた、だから今やたくさんの人々がわたしに注目しているのだ、と思っておられる方ともぜひご一緒したいと思います。
たくさんではなく、たった一人のわたしがあなたとかかわりあいたいからです。
どう生きたらいいのかわからない、何を探しているのかもわからない、と思うことがある方ともせひご一緒したいと思います。
魂の服のボタンの掛け違えの場所は、実存的にかかわりあう他人の目が一番よく見抜くからです。
わたしの外側にはいろいろネガティブなことが起こるけれど、そんな時わたしはすぐに外側を切り離して自分の内面を見つめ、穏やかな愛のエネルギーに満たされる。わたしはポジティブなエネルギーを選んで生きているからいつも幸せだ、と思い込んで疑いの無い方とはご一緒することができません。
我々にその方とかかわりあいになる気がまったくなく、そのための時間もないからです。
一昨日の除夜の円坐の夕食の時に、中国人の高媛媛(コウエンエン)さんと王(ワン)さんが「約束したから」と遠距離を駆け抜けて来てくださいました。
彼女たちは円坐の精神をただちにありのまま理解し、「ずっと前からみんなを知ってたような気がする」という王さんの言葉は、我々全員の腹にストンと落ちました。
生きている人間と出会い、かかわりあいになるために時間は必要なく、やり方も不要です。
正直であればいいだけのかかわりあいに、なぜ方法論が必要になるのでしょうか。
横浜寿町の篠原さんの答えはシンプルです。
「かかわろうと思ってないから。」
高槻市の保育園で、大の字に寝転がってすさまじい声で叫び続けていた反社会的な問題児「てるひ君」は、観客を意識して影舞を舞うクラスメイトを見て、
「あれは影舞と違うやんな。」
と、我々をまっすぐ見つめて指摘します。
他人とのコミュニケーションに問題があるはずのてるひ君は、影舞という真剣なかかわりあいをただちに認識し、仲間に教えるまでになり、叫ぶことを止めました。
5歳のてるひ君は、誰よりも先に保育園の近くまで来た我々を見つけて手を振ります。
彼は我々に対していつも真剣に、正直にかかわろうとしているのです。
78歳の篠原さんも、5歳のてるひ君も、我々と交わした約束を真剣に守ります。
中国・重慶からやってきた高さんも約束を真剣に守ります。
真剣に他者と対峙し、約束を守る人々が円坐に坐ります。
大切な人との約束を守るために、方法論やワークショップは必要ありません。
大切な人との約束を守って生きている人々と坐る円坐は、実存する坐衆の数がだんだん増えていきます。
約束を守る人々が語ることばの中には、必ず大切な他者がはっきりと生きて存在しているからです。
円坐は、横浜寿町の篠原さんや、高槻の保育園のてるひ君や、中国人の高さんや王さんがいつでも生きている時空間です。
円坐に坐った篠原さんやてるひ君、そして除夜の円坐で2025年の最期の四日間を一緒に坐った友の後ろには、彼らが愛し、彼らを愛する存在がゆっくりと立ち上がり、彼らが語ることばや態度とひとつになり、我々がかかわりあう時空そのものとひとつになって今も実存しています。
そして、我々の実人生との新たな、未知の、驚くべきかかわりあいが始まるのです。
口承即興円影未二 有無ノ一坐 橋本久仁彦
☆★

きくみるはなすかかわりあう
有無ノ一坐の生駒石切400日間円坐2026
開催概要
日程 第1回 3月22日
第2回 4月26日
第3回 5月24日
第4回 6月28日
第5回 7月26日
第6回 8月23日
第7回 9月27日
第8回 10月25日
第9回 11月22日
第10回 12月27日
第11回 2027年1月24日
第12回 2027年2月28日
第13回 2027年3月28日
(すべて第4日曜日10時~18時)
会場 東大阪市石切町(生駒山麓)
※ご参加の問合せは橋本久仁彦( enzabutai@bca.bai.ne.jp )までどうぞ。
◆ 有無ノ一坐 副坐長 松岡弘子より宣言文
明けましておめでとうございます。
生駒石切にて新年3月27日より400日間円坐を開催いたします。
円坐にやり方やローカルルールはあらかじめありません。坐ることから他者との関わりあいが生まれてきます。
他者がいるのに自分の頭で組み立てた論理を当てはめ内面的な感情や気持ちを優先すると世界から他者は消えてしまいます。
他者が唯一無二の存在になる瞬間というのは一緒の空間にいるだけではあり得ず土地の風景に存在しているかに依ります。ここでいう歴史とは、教科書や資料に記載されている史実や、テレビドラマで放映されているような歴史物ではありません。
時間を越え古から現代に至るまで断絶せず土地の風景にいることがどれだけ凄いことなのか現代人はすっかり忘れています。ベーシックエンカウンターグループでは長期にわたり時間をともに過ごしますが、円坐というのは、円坐の時間が終わり帰宅した後も、関わりあいは終わりません。
生活と円坐は切り離すことはできないからです。
関わりあうと、もはや終了したから「ハイ!終わり。バイバイ」と一人の時間や家族の時間に切り変わることはありません。
円坐でご一緒した方たちが自分の中に住み始め、その方たちのまなざしを通じて生活がふるさとへの旅になってまいります。
ひとたび旅先や円坐でその方と再び会うと、初めて会う新鮮さと旧友と会う懐かしさが一つになって、その人との間の景色にしっかりとひろがることに毎回驚きます。
山に登ろうと思ったら直ちに麓に行け
海を渡ろうと思ったら直ちに岸へ行け
地平線や水平線は、登らなけらば、渡らなければ、いくら懸命に見ようと努力し勉強し想像しても、一向にみえてきません。
山や海が、わたしたちが存在する後よりも先よりもずっとあるのと同じように、他者も、自分たちが存在する以前より、そして死んだ後も、圧倒的に存在しています。
ひとりで生まれて死んでいくことなどあり得ないことで、生きることは、壮大な冒険の旅と同じだとわたしは思っています。
他者が仲間や敵になるのは重大ではありません。大切な人にそして未だ出会っていない人に会いにいくことが冒険なのです。
400日間の円坐とは、生活と旅が一体となることです。
生駒石切という土地は、高校生の時に一緒に暮らしていた祖父が、石切さん参りをしていた思い出の地でもあり、
石切には、円坐や研鑽クラス、守人稽古会で長きに渡りご一緒した方々がいます。
先祖代々徳島の西方(にしがた)に生まれ、ふるさとを愛した祖父。書の道には大変厳しく、どんな人にも慈悲深い祖父が晩年、高野山ではなく、石切さんへお百度参りを続けていたのですが、40年以上経って、石切を歩いている祖父の姿がようやく見えるようになってきました。
これは、幻覚とか、想像やイメージではありません。今も昔も変わらない石切の風景を、祖父がずっと歩いているのです。
この事は祖父と孫という血縁関係だけでは説明がつきません。円坐を通じて、ようやく石切の歴史と風景が一体になって、自分は他者との関わりあいによってこの世にもう一度生まれ、死んでなお関わりあいは続いていくのだと思います。
石切の夕刻の夕陽は最高です。陽が沈んだ後、雲が瀬戸内の島影のように見える刻(とき)があり、わたしたちは、このたそがれの風景を「お浄土」と呼んでいます。
祖父母のふるさと西方の風景でもあります。
わたしも祖母も同じ干支の生まれです。今年は60年に一度の丙午です。疾風の如く、生駒の山を駆けめぐる馬となり生駒石切へ参ります。
有無ノ一坐四名が守人をつとめます。それでは史上初「生駒石切400日間円坐2026」にてご縁をお待ちしています。
ぜひお会いしましょう。
口承即興円影未ニ 有無ノ一坐 松岡弘子
◆ 有無ノ一坐 橋本悠より宣言文
新年明けましておめでとうございます。
2025年は皆様にとってどのような1年になったでしょうか。 色々なことが時間と共に進み、前進したこともあれば、些細な問題で停滞したり逆に巻き戻ってしまったこともあるかもしれません。
僕自身も前進しようと自分なりに考えた1年となりましたが、去年は一人では何もできないことと、仲の良い人だけでなく様々な人に頼り、恩返しをしていくことが、やはり何より大切なんだと改めて学び直した1年となりました。 2026年も、皆様のご健康と益々の飛躍を願っております。 今年も何卒、よろしくお願いいたします。
ここからは今年2026年開催の「石切400日間円坐」のご案内文となります。
今年から「石切400日間円坐」というタイトルに改め、より『円坐』に特化した内容にして進めてまいります。
『円坐』とは何か、経験済みの方も未経験の方も非常にわかりにくいものかと思います。 開催している守人本人に聞いてみても、やり取りや繋がりと、抽象的なことを言われて理解に苦しむ方も多くみてきました。
『円坐』とは非構成の場という非日常のその先の発展を見据えて、置いていく場だと自分は理解しています。
◦ 非構成とは?
非構成の場とは、ワークなどの”強制力に極力頼らず”その場に決められた時間一緒にいるだけで、自身と他者が無意識に抱えている能力や問題や関係性を発揮させます。
ワークと強制力に頼らないのは、強制すると自由が損なわれてしまい、その人本来の感性や自発性が引き出されない為です。
非構成の場で他者から、自分が今どう見えているかのフィードバックを頂き、フィードバックをもらった時の自分の無意識的な反応も含めて
『自覚はないが自分はこういう人間なのか、こういう要素や能力、好みがある存在なのか』
と、自分の存在の輪郭を他者の反応によってはっきりと体感する。
普段の有意識的なやり取りではなく、もっとさらに根深い無意識のやり取りを起こしていく場となります。
無意識というのは有意識の更に下、今の自分自身のベースとなる部分です。
これを聞いたままの言葉の意味や、理屈で現象を理解されようとする方がほとんどですが、残念ながら私たちが認知して感じている有意識より下の部分なので理屈では理解が及びません。
矛盾も当たり前にしますし、5秒前と違うことを言ったり意味がメチャクチャな言葉を使ったりします。 ではどうやって自分に落とし込むのかというと、まさに「体感」していただく他に方法がありません。これが説明・伝達が困難な所以です。
体や感情に刻む形でしか腑に落とすことが出来ないので、講義や講座ではなく”参加型体験学習”として、実際に本人の意思で参加して関わって頂かなければ
(なるほどね〜わかったわかった。そういう考え方もあるよね、でも自分には関係ないかな)
という結果に終わってしまいます。
しかし腑に落ちてしまえば、自己理解や自己開発なども大いに進みますし、幼い頃からの問題や、やめたいけどやめられない悪癖、動きたいのに動けない自分などを見つめ直し、また今までと違う感覚で普段の生活が動き出すことになります。
ここまでは非構成の場というものの説明でした。
『円坐』はこの先の、自分が自分として一致した後の他者との発展にフォーカスした取り組みとなります。
◦ 円坐とは?
人間は生きて行く為には他人に頼らざるをえません。
自己理解を深めただけでは、結局のところ自分の中の正義や真実に確信を持っているだけの人になります。
人生では様々な、自分の中の真実に従って生きている人達と出会っていきます。
先ほど説明・伝達が難しいとお伝えしたように、他人の正義や真実は、彼らにとっての他人である我々には理解できません。
しかし現実問題として、生きていく為には、分かり合えず全然違う生き物なのにも関わらず、一緒に居続けなければいけません。
『円坐』とは、理屈や頭の理解が及ばない領域の
”お互い理解できないことを理解して信頼し一緒に発展する”
という、相互不理解の信頼関係を築いていく場です。
「円坐とはなんですか?」と問われても、関わり合いとしか答えられないのは、そうとしか伝えられず、理屈で説明しても腑に落ちにくいものだからです。
ですが、ここまで読み進めていただいた皆様になら伝わるかと思います。 他人という、自分の想像や理解を遥かに超えた、しかし自分によく似た相容れない人達と、一緒に生きて行く方法や生き方を模索し、実際に発展させるのが『円坐』です。
直近ですと多様性という言葉を、皆様もニュースを見たことがあると思います。 センシティブだから…と腫れ物のように誰も触らず、問題だけが大きくなっていく。
こう言った本来触れないものに立ち向かい、自分なりの答えと仲間と、自分にとっての敵すらも仲間に変えていく。
自己流だからこそどんな状況でも強い、人との関わり方を見出す場です。
皆様のご参加を心よりお待ちしております。
今年も精一杯頑張ります。
有無ノ一坐 橋本悠


