関ケ原古戦場円坐 2022

一昨日、7月17日日曜日のお昼ごろ、日本海に臨む舞鶴港の「平(たいら)桟橋」別名「引き揚げ桟橋」にて
まるで湖のように青く穏やかな舞鶴湾の海を背景に「異国の丘」の歌声の響きの中影舞舞台を置かせて頂きました。

見えるからだや見えないからだの無数の魂が
懐かしい日本の大地の証しとして

そっと最後の一歩を踏んだ
魂の引き上げ桟橋の
先端にて

シベリアや満州から帰還された方々や
未だ彼の地に骨を遺す方々に
浅からぬご因縁のある方が

「舞鶴引き上げ桟橋縁坐影舞」
を舞ってくださいました。

今回の「舞鶴名残りの出稽古ドサ廻り」は
連中三名を含む坐衆一向七名による
「口承即興円坐影舞有無ノ一坐」
の幟を立てて参りました。

海上自衛隊の灰色に輝く巨大な軍艦の威容を横目に見ながら

この世の名残りのドサ廻り一坐は
黒いオデッセイ号に身を預け
軍港舞鶴の港町を駆け巡ります。

舞鶴赤レンガパークでの対談円坐は
13年ぶりの再会となったKさんとMさんが
円坐舞台に坐られました。

白い鉄製の椅子を集めて庭に置き
結界して出来上がった円坐舞台の上で
懐かしく語り合うお二人の声を
聴かせていただく我ら一同皆ともに

お二人の生きて来られた
半世紀以上に渡る時空間の風景を
言葉のままひとつひとつ
同道させていただいたのでした。

「生きる」とは端的に、
縁あるお互いの人生の中を
共に歩くことだと思います。

聴かせていただいて
見せていただいて
華していただいて

「きくみるはなす縁坐舞台」が
舞鶴の地にまたひとつ
驚きと畏敬の空間として
姿と形になりました。

この精神の舞台は常に
聞こえず見えず話さない
「謎の土地」からアラハレて
我々に新鮮な精神を与えてくれます。

円坐舞台の体験は
一日前のことなのに、
ずっと昔のことに思えます。

そしてずっと昔の出来事が、
一日前のように新しく
今すぐそこに
華となって開きます。

こうして
今日一日だけの円坐舞台が
百年、千年の間を結ぶ縁坐舞台として
反転成就の寿ぎとなります。

夕刻には、舞鶴湾の美しいリアス式海岸に
雲間から三本の黄金色の光が指す
大縁坐舞台の光景を

舞鶴出稽古名残りの景色として
五老岳山頂から眺望し
仕舞いの山頂円坐に坐りました。

夫婦になっただけでは人間の夫婦にはならぬ。
親子になっただけでは人間の親子にはならぬ。
私になっただけでは人間のわたしにはならぬ。

人間の歴史を見つめてきた五老岳そのものが山頂円坐の真ん中に言葉を置いているようでもありました。

名残りの出稽古ドサ廻りの
旅の道行きがこの上なく楽しいのは

何者でもない
無力なものとして生まれてきて

このたび
人間に成る機会を得たからであると思います。

この旅は
我々が出遇う無数の人生を辿り
縁深き人の言葉と息遣いを辿り

やがてあなたの眼差しに辿りついて
初めて人間になる旅だと思います。

僕は
人に生まれたことを当然として自分の権利を主張するわがままな時代を通り抜けて

得難い仲間とともに生き
旅の道中ひと付き合い
突きあい仕合い対峙して

ひとつ、またひとつと雲が落ち
晴れて人間となって往くことを

「よし」

と寿ぎます。

円坐を
稽古を積んだ円坐守人が仕切るとき

人が丸く坐っただけの時空間は
紛れもなく古来の「舞台芸能」と同じ奥行きを持ち始め

坐衆の言葉と魂は
時間を越えて行き交います。

円坐守人の役目を果たすにあたって
必要なことはふたつ。

生身の関わりと
そのための舞台です。

円坐は
瞑想ではなく
宗教ではなく
カウンセリングでもなく

「だれもが自由で尊重される場」などではまったくなく

ただ
わたしとあなたとの
関わり合いです。

ただ
わたしとこの世界との
結末です。

時間を越えて広がって往く
縁坐舞台の空間は

日常の平凡なわたしと
この世界にはもういない人々との
非凡な関わり合いです。

円坐守人の稽古の仕方は
円坐守人になるためのトレーニング方法は
円坐メソッドマスターティーチャーの宇宙最高資格をゲットする唯一の条件は

自分の好き嫌いを手放して
仕合うべき相手と
本気で最期まで関わることです。

本気で関わった相手は
時間を越えた存在になります。

「関ヶ原古戦場円坐2022」は

この世に時間を超える関わりがあることを
高らかに謳い上げる日本の円坐守人の陣構えです。

円坐守人とは
生きる姿勢のことです。

円坐守人とは
主語ではなく述語
名詞ではなく動詞のことです。

円坐守人とは
感情の表現ではなく
意志の実現です。

野のユリのように存在すること
ただありのままであることには

「ある」

という
とてつもなく巨大な意志と実行の力が働いています。

はかない夢のような「私という思い」が傷つかないように守り合って

長続きせず虚しく終わる
現代人の常識的な人間関係の流れに

あえて円坐を置き円坐守人として名乗りをあげ
辞儀とともに言葉の最期の一息まで辿り

時空を超えて円坐舞台となし
影の奥からアラハレる因縁因果と対峙し仕合い

顕幽両者が交差する「きくみるはなす縁坐舞台」が立ち上がると
背景には舞鶴五老岳山頂から見上げた大縁坐舞台が映り込みます。

雲間から照らしの光が射し込む黄金色の光景は
その来臨をまったく予測出来ないがゆえに無条件で完壁な縁坐舞台極みの花道です。

人の世の闇と光を辿り言祝ぐ口承即興舞台芸能
「きくみるはなす縁坐舞台」。

人生を生死を超えゆく一世一代の舞台と見るこの道行きを共にし
諸国一見の景色を分かち合う懐かしい皆様方の面影を胸に頂き

口承即興円坐影舞有無ノ一坐の 坐長として
伏してお声掛けをさせていただきます。

いざ。
関ヶ原にてお待ちいたしまする。

有無ノ一坐 橋本久仁彦

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合戦日 令和四年九月十八日・十九日 

合戦場 岐阜県不破郡関ヶ原古戦場 

合宿場 サウンドロッヂ伊吹 

参陣費 四万円 

陣容  東西円坐守人十六名

申込先 soumon.enza@gmail.com 松岡 

関ケ原原古戦場円坐舞台守人

 有無ノ一坐 橋本久仁彦 松岡弘子 橋本仁美 橋本悠

みなさま 

関ケ原古戦場円坐 2022 開催のご案内です。

有無ノ一坐は、昨今、日本各地へ名残りの出稽古に出掛けております。

そんな中、
年に一度、
秋の彼岸の頃に開催される関ケ原古戦場円坐は、
精神を懸けた戦いです。

関ケ原古戦場円坐は、
今から4年前新たな円坐の形として、
関ケ原を舞台に立ち上げられました。

かつて、関ケ原の地では、
二つの天下分け目の戦いが繰り広げられました。 

ひとつは、 672年の壬申の乱、
そして、もうひとつが関ケ原の戦いでした。

古代と中世に国を二分し戦った、
関ケ原の地にて、
繰り広げられる、
現代の戦い=関ケ原古戦場円坐は、
いわば『精神』を懸けた戦いです。

自分の精神性は、 
自分しかいない世界では到底見えてきません。

激動の現代、歴史の真実はまさに、
精神の普遍性に支えられています。

激しく移り変わる激動の時代とも言われていますが、
いまも変わらぬものは『ふるさと』と『精神』です。

『精神』と『ふるさと』は此岸と彼岸を境に、
映し合っています。

その彼此の境に『舞台』を置くのが関ケ原古戦場円坐守人の務めです。 

『ふるさと』は、
懐かしい面影のまなざし=照らしの源です。

『精神』とは、
他者へ向かい放つ人間としての光の橋です。

このたび、
四度目の関ケ原古戦場円坐は、 
ふるさとの伊吹を受けながら、
各陣、山々や野原を駆け抜けます。

さらに、
合宿場所での夜の稽古の質も精査し、
サウンドロッヂ伊吹縁坐舞台の質も、
一層高めるべく、
有無ノ一坐も精進して参る所存です。 

それでは、
関ケ原古戦場円坐にてお待ちしております。 
口頭でお約束いただいております方々も、
人数把握の為お手数おかけいたしますが、
あらためて申し込みをお願いいたします。

有無ノ一坐 松岡弘子