〜春の京都「無鄰菴」にて、京里円坐(みやさとえんざ) をひらきます〜

このたび神奈川で「聞き方講座」を実施されています中尾聡志さんと、大阪高槻で「聞く稽古」を開催している松岡弘子が、京都で顔合わせをして、円坐守人を初めてふたりでつとめます。

円坐にはメソッドやコツはありません。松岡弘子と中尾聡志という人間がいるだけです。

会場となります無鄰菴は、長州出身の明治・大正の政治家、山縣有朋の建てた草庵で、庭が特徴的です。石や池を象徴的に配置するのではなく、東山を背景に、疎水から水を引き、小川の流れるような里の風景を醸し出している、そんな庭を見ながらじっくり円になって坐ります。ご縁をお待ちしています。

有無ノ一坐 松岡弘子

〜春の京都「無鄰菴」にて、京里円坐(みやさとえんざ) をひらきます〜

日時 : 令和六年四月十日 水曜日 十時半~十六時半
場所 : 京都市左京区南禅寺草川31
会場 : 山縣有朋元別邸 無鄰菴 母屋二階
守人 : 松岡弘子×中尾聡志
会費 : 一万円(別途入場料)
募集 : 八名 ※ 昼食は各自ご持参ください

※ 主催は無鄰菴でありませんので、
  お問い合わせは下記までお願いします。
※ 申込・問い合わせ
  soumon.enza@gmail.com 松岡弘子
  080-3786-3037

会場へのアクセス
・地下鉄 京都市営地下鉄東西線 蹴上駅より徒歩6分
     /東山駅より徒歩10分
・市バス「南禅寺・疏水記念館・動物園東門前」
     バス停より 徒歩3分です

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円坐守人松岡弘子のご案内
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「西に行ってみたいです」という、さとしさんの電話越しの声を聞き、
では生駒石切円坐守人十六番稽古へお越しくださいとお誘いしました。

今年度はご家庭の諸事情で通うことができないとのお返事でしたので、
京都でわたしとさとしさんの守人で円坐を開催する運びとなりました。

朝いちばんに自宅を出て来られるさとしさん(神奈川在住)にとって、
なるべくアクセスがよくかつ京都駅から近い会場を探していたときに、
以前円坐をしたことのある場所やご一緒した方々の面影が思い出され、
安井金毘羅宮や梅小路公園などいろいろ会場の候補を考えたのですが、

ずいぶん前になりますが、
一度だけ訪れたことのある無鄰菴のお庭の風景を、
ふと、思い出しました。

山縣有朋の別邸、無鄰菴のお庭がなぜ出てきたのかはわかりませんが、
母屋の建物から庭に出たときにひろがる目の前の景色と東山の背景が、
山口県の萩の風景とどこかつながっていて思い出されたのでしょうか。

その人が見た景色と背景が一致した場所に立ったとき、
突如、その人の存在を深く感じ、再会するのでしょう。

里の風景というのは、
そんな位相にあるものなのでしょう。

無鄰菴の元主人、山縣有朋は山口県萩市川島出身です。
当時は藩校明倫館で学べる身分ではありませんでした。

彼は京都に派遣され、久坂玄瑞と出会い、影響を受け、
萩に帰国した後久坂玄瑞の紹介で松下村塾に入ります。

入塾ほどなく吉田松陰は、安政の大獄で江戸で斬首されますが、
山縣有朋は吉田松陰を生涯恩師と仰ぎその2年後「狂介」と改名します。

「諸君、狂いたまえ」(諸君、狂うほどに打ち込み、前進しろ)という、
恩師、吉田松陰の言葉によるものです。

それでは、ご縁をお待ちしております。

有無ノ一坐 松岡弘子

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円坐守人中尾聡志のご案内
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くぅさんと4月に京都で円坐を開きます。

僕が昨年から実施している聞き方講座の案内をfacebookに投稿した際、
くぅさんがその体裁(内容ではなく)に気になったことがあり、
僕にご連絡をしてくれたことが始まりでした。

メールでやりとりし、その後、電話でお話しをしたとき、
お互いの「聞く」についての対話になり、
おもいがけずとても楽しい時間となりました。

その時にくぅさんから「一緒に円坐を開きませんか?」とお声がけいただきました。

くぅさんとは、2017年の松本ヴィオパークのヒトリ主義Nightの
縁坐舞台公演を見に行ったときに、初めてお会いしました。

その後、東京で開かれた盆暮円坐に参加し、
くぅさんの守人の姿を生で見て、

その時のことで覚えているのは、
ある方のお話に、
くぅさんが感じたことや見えた景色、ご自身のことなど、
くぅさんの中で起きたことを、
言葉を尽くして語りお伝えしている姿です。

少しだけ身体を乗り出しながら、
戸惑いや焦りなどもすべてそのまま出しながら
身体まるごとで懸命にお話している姿に、
時間が止まっているかのように聞き入ったことを覚えています。

でも、くぅさんとは直接いろいろを長くお話したことはなく、
今回お電話で、それでも少しの時間でしたが、
くぅさんと直接お話できたのは本当に思いがけない機会でした。

盆暮円坐以来、くぅさんの円坐のご案内にある言葉を読みながら、
またくぅさんの円坐に坐ってみたいと思っていましたので、
今回、くぅさんから「一緒に円坐をしませんか?」と言ってもらえたことは、
驚きと嬉しい気持ちと両方でした。

また、緊張する気持ちもありましたが、
すぐにぜひ一緒にやりましょうとお返事しました。

その後、円坐開催に向けてのやりとりが往復する中、
僕の行動が原因で、二つの円坐の開催を予定していましたが、
一つの円坐は中止したいとの連絡をいただきました。

もう一つは、僕が最初に「西で円坐をしたい」と言ったことを
くぅさんが受けてくださり引き続き開催する運びとなりました。
それが今回の円坐です。

僕の行動で、くぅさんが何を思われたかはメールで説明していただいていますが、
くぅさんも「いくらメールで書いても理解できる代物ではない」と書いてくれていまして、

初めはメールや電話でこの件について理解したいという気持ちがありましたが、
今は、直接お会いしてお互い対峙してお聞きしたいと思っています。

くぅさんからの最初のご連絡も、途中の中止のご連絡も、
僕にとってはとても緊張し、心臓の鼓動が早くなるような、
不安を感じるものでした。わずかな苛立ちもありました。

でも、今回くぅさんが僕に連絡をしてくれたことは、
くぅさんとしては、自分だけの問題にしてしまっては僕に失礼だ、と思ったからだと聞き、

まさか僕に失礼だから連絡してきてくれたというのは夢にも思わずびっくりしました。
僕の中では「自分の勝手な違和感を相手に伝えるのは失礼だ」となるのですが、
くぅさんは今回はそのまったく逆のことを言われました。

くぅさんはどんな考えや気持ちを持って、目の前の相手と関わっているのか。
このこともメールや電話で知れるものではない。

直接くぅさんと会って、お聞きし、声、表情、身体の仕草を含めて、身体で感じたい。
変わらず緊張もあります。不安もあります。

そして、だからこそ湧き上がる意思もある。
圧の中で感じる手応え、刻まれる人。

初めて、くぅさんに会いにいきます。
何卒よろしくお願いいたします。

中尾聡志