この世の名残り 阿波佐那河内村 桜のふるさと円坐街道

徳島佐那河内村にて、"ぴよ"こと、多田奈津佳さんとの
「この世の名残り 阿波佐那河内村 桜のふるさと円坐街道」のご案内です。

有無ノ一坐 松岡弘子

<この世の名残り 阿波佐那河内村 桜のふるさと円坐街道 開催要項> 

日時:令和6年3月31日 日曜日 11時〜17時
場所:徳島市佐那河内村
守人:橋本久仁彦・松岡弘子
定員:八名
会費:一万五千円
申込soumon.enza@gmail.com 松岡まで
主催:有無ノ一坐(https://umunoichiza.link)


ー橋本久仁彦氏からの言葉ー

皆様。

僕が40代前半の頃ですからもう20年も前になりますが、
僕は大学の仕事を辞めて大阪の自宅で非構成的エンカウンターグループの
ファシリテータートレーニングを開始しました。
以来途切れず毎年クラスを続けて現在の生駒石切円坐守人十六番稽古につながっています。

徳島県の佐那河内村に住む多田奈津佳さん(ぴよ)は、
そのファシリテータートレーニングの第二期のクラスに、
有無ノ一坐の松岡弘子氏(くぅ)とともに参加していた最も古い仲間のひとりです。


この「私」が生存できる貴重な時間が容赦なく過ぎ去って今、
我々は与えられたこの時代と世界において、
自分の人生の最終局面をともに生き抜く仲間と再び、
そして新たに結集し始めています。

我々のこの動きは、現代社会において「人間関係」と呼ばれる現象が、
ふたつの方向にはっきりと分かれ始めていることと連動しています。

この30年ほどの間に急速に勢力を増しているひとつの方向は、
自分の人生態度を変えず、他者と距離を作って忖度に基づく
表層の「情報交換」を「人間関係」と呼ぶ社会的傾向。


もうひとつは、
自分という存在の最も深いところで他者と対峙し、交わり合うことを「人間関係」と呼び、
人と人の直接的で生命的な関わり合いが、人生の最期まで継続する自治区的連帯を生み出そうとする動き。

この場合「継続する対峙と交わり合い」の働きによって、
我々の人生に対する態度や構えは、過去の自分と較べて別人のように変化していきます。

人生の最期、自分の生の終わりを見据えた上で、
他者と直接交わり合う人間関係を生きることを選んだ人間が、
円坐守人の稽古の価値を認識して生駒石切十六番稽古にやってきます。

有無ノ一坐や人生経験豊富な守人連中による厳しい稽古の中で、
新たに円坐守人として立ち上がる者があらわれます。

彼らが有無ノ一坐の固有の芸能である円坐影舞の舞台を引き継ぎ、
それぞれの土地で円坐舞台の現場を創造していく人々です。


円坐守人として仕事をするための「資格」は、
一度クラスや円坐に出たからもう「獲得した」と言うことができません。

「円坐守人」とは以上のような姿勢で円坐衆に関わり合い、そして地域に関わり合い、
さらにこの世界に関わり合いになる積極的な動きそのものを指し示す命名です。

円坐守人の「資格」とは、自分が舞台として「仕切っている円坐」に参加してくださった坐衆に対し、
「円坐舞台人」としてはっきりと具体的に関わる態度によって毎回成立させなければならない「生きている資格」のことです。

その資格の効力は、円坐影舞を正業とする有無ノ一坐と、
有無ノ一坐に「連坐」し、勇敢に活動を続ける全国の守人社中・連中が、
その人物の「円坐守人としての態度」を継続的に体験し、認めている事実によって成立します。

現在日本各地で開催されている円坐や円坐街道が、お互いの人間性や人生態度を継続的に体験し、
確認仕合うための重要な機会になっていますので、どうぞ鋭意ご利用ください。

本来、「グループ」や「場」と呼ばれる「自由な人間関係が生じる集まり」を生み出す人物に
公的な資格を当てはめることはできません。

自由な人間関係の場は、ただその場に生きて関わり合う人物の直接的な人間性だけに基づいて成立するからです。


今回の「この世の名残り 阿波佐那河内村 桜のふるさと円坐街道」にも
個性的で人間的な人生態度を生きる人物が集います。

どうぞ臆することなく、かけがえの無いご自分の人生とともにご参加くださいますようお誘い申し上げます。

皆様の生き様のどんな小さな、取るに足りないように見える場面であっても、
その唯一無二の香りに触れさせて頂ける機会を、一坐一同心より楽しみにお待ちしています。

以下に阿波の国をふるさととする大阪高槻の松岡弘子氏、
そして生粋の阿波人、多田奈津佳氏の言葉を掲げます。

どうぞお見知りおきくださいませ。


口承即興円影未二 有無ノ一坐 はしもとくにひこ



ー松岡弘子からの言葉ー


ぴよと出会ったのは、大阪千代崎での橋本久仁彦氏の
パーソンセンタードアプローチに基づく非構成的ファシリテータートレーニングクラスでした。

お互い子ども達もまだ小さかったのですが、必死にクラスに通っていた仲間同士でもあり、
ぴよは徳島からちーちゃん(中谷千里さん)と一緒に船で通っていました。

あれから18年。
徳島市佐那河内村で、ご夫婦で起業しお弁当屋さんを立ち上げ、切り盛りするぴよ。

佐那河内村のぴよのお家を訪ねたり、ご自宅で円坐もひらかせていただきました。
更に、上勝でも会えてうれしい再会でした。

そして今年は、佐那河内村にて桜のふるさと円坐街道を
ご一緒しててくださる運びとなりました。
佐那河内の桜は、とても美しく、とても見事なのだそうです。

40年前、徳島市上八万町に引越した叔父にとって佐那河内村の川や自然は、
懐かしい風景だったに違いありません。
叔父とよく佐那河内の川に出かけたのはもう昔なのに、いまでもまったく色褪せていません。

西方村誌を書き上げた若かりし頃の叔父の本とともに
いまはもう無くなった阿南の西方村の里の風景に、
佐那河内村の風景は、どこかつながっているような気がします。

はしもとさんが、かつてちーちゃんのお名前や仲間の御名前を掲げて書かれた
「ひょうたん桜と円空坐と影舞縁起の坐舞台(高知・仁淀川)」の案内の文章の言葉に、こうあります。

『人がなくなること、しんでゆくことを「みてる」と言い表す土佐の地で、
いまだ生ある皆様、そして未生以前に還られた皆様の御前にて、
未二観と円空坐と影舞縁起の坐舞台を仕合わせて頂く
この度の不思議の「辿り」と「ふれ」、そして「運び」を、誠にありがたく、光栄に思っています。』

いま旅立ちと出会いの春に、
ご縁をお待ちしております。

有無ノ一坐 松岡弘子


ー多田奈津佳氏からの言葉ー

この10年すごいスピードで景色が流れてゆきました。 
そのスピードは重たいものを「置いて」でも進まないといけないものでした。 
私が「思うように生きていいよ」と自分に語れた今、
私の中にうごめくエネルギーを感じたいなと思います。 
春の桜の下にどうぞいらしてください。

多田奈津佳