初秋の軽井沢円坐

今年7月7日の七夕に、軽井沢の風越学園で旧知の辰巳真理子さんと再会し、御子息のゆうた君にも初めて会いました。

この世の名残りの円坐を思う時、お二人ともう一度時間をともにしたいと思い、
辰巳さんの御主催による 「初秋の軽井沢円坐」 が立ち上がりました。
ここにご案内いたします。

有無ノ一坐  橋本久仁彦

★★

ひょんな縁で「聴くこと」を個人的な探究テーマに据えてから、ずいぶん長い時間が経ちました。
お師匠の一人である橋本久仁彦さんを軽井沢に招いて、9月28日と30日の2日間、円坐を開催します。
(1日ずつの参加も可能です。遠方からいらっしゃって2日とも参加の方は、中日に初秋の軽井沢を自由にお楽しみください^^)

円坐とは、円くなって坐り、その場に居合わせた人たちの間で起きる出来事を、みんなで扱っていく時間です。
エンカウンターグループと呼ばれる場を橋本さんは数年前から円坐と呼ぶようになりました。

私が円坐を体験したのはもう10年以上前のことで、
わかりやすい説明の言葉は持ち合わせていません(わかりやすい説明からほど遠い場でもあります)。
以下は、円坐の体験についての橋本さんの言葉です。

単なる観察や反省にとどまらず、外界に向かって「自分」から「出る」ことで「何か」を体験すること。
他者=自分以外の存在への集中・対峙・仕合によって自分の心魂の中に体験する自分以外の「何か」。

自分の内面だけで完結し、人生を通り過ぎさせるのではなく、
外界の中心に存在する精神領域に出合うこと。

自分の内面と外面を一つの大きな精神世界の二つの面として統合する円坐舞台の空間。
⇒現代のこの世界状況に生きる我々は外界に出ていかねばならない。
 (https://umunoichiza.link/kunihikohashimoto/ より抜粋)

分断が日常になりつつあるこの社会で、自分の内面と外面の境界が曖昧になっていく体験は、
そのあとの世界の見え方がちょっぴり変わるかもしれません。

写真は先日9/20、福岡・津屋崎での福岡県福津市、津屋崎千軒の語り部であり、町の精神的支柱である柴田富美子さんとの影舞

初秋の軽井沢円坐

開催日時と参加費
2回に分けて実施します。複数申込可能です。

1)9月28日(木)13時半〜17時(参加費:5000円)
2)9月30日(土)10時〜16時(参加費:1万円)

実施場所
軽井沢風越学園近く(軽井沢駅から車で約15分、最寄りバス停から歩いて約10分)
詳細の場所は、お申込者にお知らせします。

申し込み
mrk0405@gmail.com(辰巳)
2日前までをめどにお願いします。

備考
・託児はありませんが、お子さん連れはご相談ください。
・その他ご不明な点は、mrk0405@gmail.com(辰巳)までどうぞ。

以下、橋本久仁彦さんからのメッセージです。

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「先日、『62年目の軽井沢に置かせていただく円坐』の帰りに風越学園を訪れた際、
辰巳真理子さんと久しぶりに再会しました。

彼女が母として、人間として、懸命に生き、存在している姿を身近に感じ、
真理子さんが主催する円坐を新たに軽井沢に置いてみたいと思いました。

円坐とは、時間を決めて人々が輪になって坐ることから始まる未知の旅です。
円坐には「円坐守人」と呼ばれる役割を持った人間が存在します。

円坐守人が、今回風越学園のスタッフの皆さんと実施する「8分未二観」という傾聴芸術や
円坐影舞、縁坐舞台という非日常的な精神舞台の体験を重ねて鍛えられ、
精神的な領域での移行と変容を経験している場合
円坐には「新しい今日、新しい自治、新しい独立、新しい明日」に向かう流れが生まれます。

この流れは我々が常識的に信じている過去から未来への流れではなく、
生きるべき未知の未来と未知の自分から現在の自分へ向かって流れてくる「未来流」です。

このような反転逆流の時空間を「円坐舞台」と呼んでいます。
人が恐怖や苦痛を避けることを優先し、他者や自分自身と真剣に対峙せずに人生を通過してきた場合、

円坐という精神舞台の上で
「これまでの人生で感じたことがないほどの恐怖」
を感じることがありえます。

その「恐怖」は「今までの馴染んだ自分」とは正反対のもの、「未知の自分」が生まれるために
その人が通過しようとしている生みの苦しみであり、貴重な尊い体験であると考えています。
僕自身もその恐怖を通過してきたからです。

また、同じ円坐なのに
「私の人生に初めて他の人間が入ってきた」
と喜びの声を上げ、
生涯に渡る信頼関係に移行する人もいます。

円坐の本質とは
「誰でも受け入れてもらえる平等な場」では決してなく、
「人としての生き様の善悪を越えた峻別が起こる分かれ道」です。

円坐舞台は縁坐舞台とも表記します。
「縁坐」とは「縁起」と重なる内容を持つ有無ノ一坐の舞台用語です。

我々自身がこの世界の「縁起」の実体ですので、
「縁坐舞台」とは「円坐に坐る人間存在のありのまま」が、
そのまま直接的な新しい舞台芸術であるような世界観を表現しています。

それを実際に「円坐舞台」として現実化し、
生業とし仕事として生きている一坐が僕が坐長を務めている「有無ノ一坐」です。

外国の方々には縁坐舞台「ENZABUTAI」を
「ユニヴァーサル・アート・フォーム」として説明することがあります。
円(縁)坐舞台とは、普遍的な、森羅万象と重なる基礎を持つ日本の民衆舞台の新しい様式のことです。

では秋の軽井沢でお目にかかりましょう。

有無ノ一坐 橋本久仁彦