きくみるはなす 松本ヴィオ・パーク劇場 縁坐舞台

口承即興円坐影舞有無ノ一坐は来週11月3日に、
長野県松本市にある「土壁の劇場~竪穴式表現空間」ヴィオパーク劇場にて公演を行います。

10年間にわたって年に一度ヴィオパーク劇場で開催され続けた「ヒトリ主義Night」は、
僕が縁坐舞台を実践するようになる前、即興劇の「プレイバックシアター」を仕事にしていた頃に
出合った舞台芸術評論家の亀田恵子さんの主催によるものです。

主催者の姿勢が舞台と踊り手たちへの深い人間愛と情熱に裏付けされていたために、
松本の「土壁の劇場」は、舞踏家や舞台表現者のいわば「聖地」になったのでした。

僕は今、この「ヒトリ主義Night」が存在し続けた10年間こそ、
「十年舞踏」ともいうべき一つの永遠の作品であったと思います。

この地に生まれ、この劇場を仲間達と建設した今は亡き伝説的舞踏家、
本木幸治氏と奥様や仲間達、そして亀田さんや我々のような舞台表現に
命を燃やす者達が立ち上げ、舞い続けてこの時空にくっきりと存在させた
十年間の魂の舞台であったと思うからです。

舞台表現とはものすごいものだ、というのが
最初に僕がヒトリ主義Nightに出演した時の言葉にならぬ強い印象でした。
その衝撃が現在の僕の仕事の重要な基礎建築になっています。

プレイバックシアターの劇団「シアター・ザ・フェンス」を率いて、
初めて経験する真っ暗で観客席の見えない独特の雰囲気の舞台に上がった時、
通常のプレイバックシアターが成立しない状況下での強烈なプレッシャーの中、
それでも暗闇のお客様に語りかけて必死で舞台を作りました。

お客様と関わる我々の舞台様式を考慮していただいて、
他の出演者より長い時間を頂いた我々の舞台が終わり、
トリとして舞台に上がったのが舞踏家本木幸治でした。
いったいどんな舞台になるのか。。

正面の舞台ではなく後ろを観るようにと促されて振り向いた観客たちには山裾の真っ暗な空間しか見えません。
踊り手を探して目を凝らす観客の前に、突如ライトが空中に何かを照らし出します。

闇の中に白い光を浴びて浮かび上がっているのは、
垂直に屹立する丸太の先端のわずかなスペースに、

マシラ(猿)のごとく小さく坐って膝を抱えた人ならぬ存在です。
丸太を輪切りにした切り口の上で、

まるでツタが絡まりながら成長してゆくかのように、
両手と体幹がねじれつつゆっくりと黒い空間を動き、
立ち上がってくるその異形の者こそ、
赤褌(ふんどし)以外は全裸の姿でその痩せた体躯を宇宙にさらす本木幸治その人でした。

僕はこの場面を生涯忘れることはありません。

今、立ち上がったと見えたとき、
フッと照明が消え再び闇に閉ざされた空間に向かって、観客の視線は踊り手を見つけようと彷徨います。

するとまたも突如、闇の中に意識が迷い込んだ観客の前にメラメラと燃え上がる真紅の炎!
驚き慌てた観客が事態を把握しようと目を凝らすと炎が揺れて走り出します。

炎を背にして黒い人影となった本木幸治が、
5メートルもある枯れ枝に火を点け、燃え上がる炎を引き連れて、闇の空間を駆けているのです!

庭に出て観ていた観客が自分の方に向かって走り来る炎に驚いて逃げ惑います。

まったく思考することを忘れ、息をのみ、魂を奪われて、
闇を駆け巡る紅蓮の炎と、猛る炎を思いのままに導く黒い
「ヒトガタ」の動きに吸い込まれた僕は、
ただ「舞踏空間になった本木幸治」とひとつになって存在していました。

彼が庭から劇場内に入ってきて舞台に上がったあとも心を奪われ続けました。

抜き身の日本刀を振り上げ、目の前のリンゴを「切らなかった」場面。
裸で振り向く本木幸治の股間に能面が掲げられていた場面。

これらの体験は実際にそこにいなければ伝えようもない生きた全体空間の中で起こったことです。

教師やカウンセラーとして「個と個のコミュニケーション」を信じて生きてきた僕の価値観や世界観が、大きな転換点を通過したことをはっきりと自覚したのはこの舞台によってでした。

このあとの十年間、ヒトリ主義Nightに出演させていただきながら、僕はプレイバックシアターを離れて「きくみるはなす縁坐舞台」の創出へと向かい、セラピストやカウンセラーやファシリテーターの看板を下ろして、芸能者としての「円坐守人」を名のるようになります。

衝撃的な舞台が終わって休憩の後、アフタートークの時間となり出演順にならんで座りました。
僕のすぐ左側には本木さんがまるで枯れ木のような風情で坐っておられます。

亀田さんが出演者を順番にインタビューして僕の番になりました。
すべて終わった安堵感から気楽に話し始めた僕の左側で、本木さんがふっとかすかに僕の方に体を向けたのを感じました。

途端に僕は体が熱くなり汗が噴き出るのを感じます。

それは今言葉にすれば次のような経験だと言えます。
「僕が発する言葉の一言一句がすべて聞かれている。
これは僕が今までやってきた傾聴とはまったく違う質のものだ。
僕は今、丸ごとありのまま見られている。
この見られている空間ではどんなささいな嘘も見抜かれる。
僕が今まで生きてきた覚悟もすべて見抜かれる。」

あの舞台上の抜き身の真剣が僕の左半身にピタッと添えられているのでした。
しかしそこに殺気はなく、冷や汗をかくほど真剣なのに底抜けの温かさがありました。

真剣に、言葉のひとつひとつに意識を込めて話さざるを得なかった僕のインタビューのあと、亀田さんは本木さんに向かいます。

「本木さん、今回は特にあんな大作の舞台を踊られたのはどんな動機からだったんですか?」
少し間をおいて本木さんがぼそっと一言。

「御礼です。」

僕は本木さんのこの一言に震撼しました。
関わった人とその存在に対する「運霊」として舞台を置くという事実がここにある。

(今「御礼として舞台を置く」とキーボードを打ったつもりなのに「運霊」と表示されましたが、僕や一坐にとって必要な文字なのでこのままにしておきたいと思います)

自分が御礼したい相手がいる時に「自分の気持ちや言葉」ではなく、あのような生きた時空間を全身と全霊で生み出すことで御礼に代えるということ。

「御礼する」ということがそのままひとつの濃密で真剣な人間の「関係世界」を新たに生み出すことであり、
そこにいる人々の魂を包み込み、あるいは刻みつける出来事になること。

それまで僕が仕事として行っていたやり方では、
僕が御礼や感謝を頂くことばかりで、僕も人が喜んでくれるならそれでよしと思っていました。

しかし本木幸治の舞台は「人に喜んでもらう」ための空間ではまったくなく、
他者から感謝や御礼を頂くような余分なスペースもまったくありませんでした。

それは感謝や御礼の言葉をのべるという行為がむしろ失礼になってしまうような空間でした。
空間そのものがすでに太古からの御礼であるような空間になっていたからです。

あの時、本木さんの存在自体がひとつの巨大な「御礼」の一部だったのです。
あの「御礼」の舞台にもしこちらも人として御礼を返そうとするなら、今後の自分の人生を丸ごと差し出した舞台として観て頂き、見抜いて頂いて「御礼」に代えるしかないし、

当の本木さんはすでにこの世にいないのだから、自分がこの世を離れたあとの道行きまでもすべて含めて観て頂ける舞台を立ち上げて謝恩・報謝することになると思います。

僕は、一瞬で僕の背筋を伸ばし、自分が口にする言葉が決して僕を裏切らないように、自分の言葉に添い遂げる決心をさせたあの空間が、本木幸治が今も生きている舞踏空間であると思っています。

日ごろ本木さんを良く知る亀田さんもこの時の舞台のエネルギーの大きさには驚いて、

「いったいいつ稽古をなさっているんですか?」

と聞くと、

「・・畑、かな。」

と答えた本木さんにこれからもずっとお会いしたく、
一年後の舞台での再会を楽しみにしていた矢先にあの世へ旅立たれた本木さんとは、これが最初で最後の舞台となりました。

以後10年間、僕は本木さんへの御礼としてその時々の自分の精一杯の舞台を捧げるために亀田恵子さんの主催する「ヒトリ主義Night」に出演し続けたのでした。

そして10年を経て「御礼」に区切りを感じ僕は松本通いを終えました。
しかしそれは終わりではまったくありませんでした。

本木幸治の舞踏は現在も見えない渦のように我々を巻き込み続けており、この度、僕は新生有無ノ一坐とともに再びヴィオパーク劇場で「きくみるはなす縁坐舞台」を上演します。

もちろん亀田恵子さんも来てくださいます。

琵琶湖畔でコンタクト・インプロヴィゼーションのダンサーの方々とワークショップをしていた僕に、彼女が声をかけてくださらなければ、この一切の出来事は生じなかったのです。

そして、この世界で僕が大きな影響を受けた舞踏家がもう一人います。
この舞踏家も言葉では届かぬ大きな「御礼」を踊る人で、僕に第二の衝撃を与えた「臨在」です。

この稀有な臨在については公演の当日あらためて言葉にすることができるでしょう。

口承即興円坐影舞
有無ノ一坐 橋本久仁彦

< きくみるはなす 松本ヴィオ・バーク劇場 縁坐舞台 >

日時:2023年11月3日(金祝) 11時〜18時
場所:長野県松本市 ヴィオ・パーク劇場
内容:きくみるはなす 縁坐舞台
守人:橋本久仁彦 松岡弘子 橋本仁美 橋本悠
会費:5,000円
申込soumon.enza@gmail.com 松岡
主催:有無ノ一坐 https://umunoichiza.link/

(以下は副坐長松岡による10月の北安曇野池田~花見集落円坐街道の直後のご挨拶の言葉です)

みなさま

11月秋の信州にて開催いたします、北安曇〜蓼科〜松本 信州円坐街道 ならびに、きくみるはなす縁坐舞台 @ヴィオ・バーク劇場のご案内です。

一昨日の晩、長野県北安曇郡池田町のベトナム出身のれんさんという方が営むゲストハウスに泊まりました。「そら」という白い人懐っこい柴犬がわたしたちを迎えてくれました。

夜は、れんさんとお話をし語り合いました。冬は民泊のお客さんが減るため、冬季は池田の町で「れんさんのベトナム屋台」という飲食業に専念されるそうですが、春になったら、池田町のれんさんのゲストハウスを拠点に北アルプス山岳円坐などの実現を約束しました。

昨日は、田園風景のひろがる花見という集落を少し歩きました。花見集落センター横に佇む道祖神と諏訪神社にご挨拶をし、お辞儀をして、そっと影舞を納めさせていただきました。

その後、れんさんにご紹介いただいた関西出身の森木香蛍さんが営まれている民家写真館 Kukka ja Tähti クッカ・ヤ・タハティのお部屋で、円坐を開かせていただきました。こちらのお家でも「シュヴァルツ」という人懐っこい黒猫が私たちを迎えてくれました。

円坐が終わってから、短い時間ではありましたが、このお家の森木香蛍さんと関西弁で互いの人生観や仕事への姿勢を語りあい、再会を約束しました。

円坐には松本にお住まいの方が参加してくださり、来し方行く末や、生死を越えたお付き合いについて語りあい、円坐の前後には、小谷村と千曲から片道1時間半、車を飛ばして15分間だけでもと田んぼや農園で獲れた新米や林檎を持って、会いに来てくださって、懐かしい方々との再会もあって、本当に池田に行ってよかったと思いました。次は、円坐でご一緒できるのを楽しみに、見えなくなるまで手をふり、車を見送りました。

8日の池田町への道中、ヴィオ・パーク劇場に立ち寄りました。懐かしい景色と、変わらぬ劇場の佇まいに、感動を覚えました。ヴィオ・パーク劇場の敷地に足を一歩踏み入れると、きくみるはなす縁坐舞台の様々なシーンが、不思議なほど、いきいきとよみがえってきて、思わず声が出てしまいました。

そしてヴィオ・パーク劇場の舞台空間に入ると、ちょうど夜の舞台のリハーサルで照明をされていた瀧澤さんと、劇場を運営されているひこさんにも久しぶりにお会いしご挨拶をして、ぜひ客席にどうぞ、と仰っていただき、しばらく舞台のリハーサルを観させていただきました。舞台を観ていると、ヒトリ主義Nightでご一緒させていただいた懐かしい方たちの面影が一気に立ち上がってきました。

今回は、そんなヴィオ・パーク劇場にて、新生有無ノ一坐による「きくみるはなす縁坐舞台」を開催いたします。もしお時間ありましたら、秋の松本へどうぞわたし達に会いにお越しください。

11月1日からは、2泊3日の秋の信州円坐街道も開催いたします。ご同道くださる方を2名募集いたします。ご縁をお待ちしております。

有無ノ一坐 松岡弘子

< 北安曇野〜蓼科〜松本 信州円坐街道 >

日時:2023年11月1日(水)〜3日(金祝)
場所:長野県 池田町・蓼科・松本
内容:円坐・影舞・未二観・きくみるはなす 縁坐舞台
守人:橋本久仁彦 松岡弘子 橋本仁美 橋本悠
会費:40,000円 (宿泊・食費など実費 別)
宿泊:池田町のゲストハウス・蓼科の山荘
移動:オデッセイ (燃料費等人数割シェア)
申込soumon.enza@gmail.com 松岡
定員:6名(残席2)
主催:有無ノ一坐 https://umunoichiza.link/

・・亀田恵子さんによる2012年のヒトリ主義Night開催のごあいさつを掲載させていただきます・・

この思想から生まれたヒトリ主義Nightだからこそ、現在も有無ノ一坐は御礼と連帯の絆を保ち続けています。
この文章の脱稿日は先の大戦の終戦の日であり、有無ノ一坐副坐長松岡弘子の誕生日でもあります。

今回の松本公演の礎となった「くぅ」こと松岡弘子と関係各位との交響する心魂の絆を慶賀いたします。

【くり返しのなかにあるもの】

誰も予想できなかった大きな災害や
きっと誰でも経験しているだろう日々の些細なすれ違いや
いろいろな出来ごとをはらんで歳月は過ぎ去っていくようです

また、振り払っても消えることのない苦い思い出や
意識しなければ何もなかったかのように忘れ去られる感情や
私たちの暮らしの中には
数々の記憶と忘却が積み重ねられているようです

そして、それらのすべては私たちが生れて死んでしまうまで
止むことなくくり返される連続です

『営み』、そんな言葉をここから思い起こします
1年に1度、日本のあちこちから山奥の劇場に集まってくる
出演アーティストたちを見ていると、ふと彼らの営みに想いが至ります

『どんな仕事をしているのだろう
どんな人と話し、どんな風に感じ、何を想うのだろう』…などなど
想像を巡らしてしまうのです

また、一方で自分のことも思い起こします
『私はどんな仕事をしているのだろう
誰と話し、何を感じ、何を想っているのだろうか』、と

私たちの日常は、大きなうねりの中にあります
言われ尽くしていることですが

合理化や効率化は生産性の拡大と利潤の追求のため
そこに働く人々には日々の努力と進歩が求められます

そこでは、目的やヴィジョンという名の安心材料を持たない者は
軽視され、煩わしげに遠ざけられてしまいます

また、こうした社会的な側面だけでは飽き足らず
ひとりの人間に戻ろうとする場面においても

家族や友人や恋人の目を気にしたり
或いは一切の関係性を断絶し
孤独な死を覚悟する人が出てしまうような空気を漂わせるのです

『ヒトリ主義Night』に集まってくるアーティストも
おそらく日々の営みはこうしたものと変わらないでしょう

社会性と一個人の在り方との狭間で日々悶絶し
それでも自分の舞台に向けて、創造を止めない
日々くり返される連続に風穴を開けるもの…
それが彼らの表現だと私には感じられます

また、観客がアーティストの表現に立ちあうとき
その場には不思議な共振が生れていると私は確信しています

観客もそれぞれの営みの中に生きています
それは、アーティストも同じ

同じ日々の連続性を生きる者同士が1つの時間と空間をともにするとき
そこには共通の体験が開かれるのではないでしょうか
それこそが、営みを支え続けるための「祭りごと」かもしれません

人智を超えた自然のふるまいと
小さいけれどチクチクと刺さってとれない棘たちと
どれもこれも内包しながら生きていくのが人間ならば…

いや、そんな中でも人間らしく生きていくためには
私たちひとりひとりが一個人としての在り方を
時折思い出すことが必要でしよう

自分が何を感じ、誰を想い、どうしたいと願っているのか
そんな気づきのスイッチを押してくれるのが
表現から生まれるエネルギーだと思えてなりません

今年も、あふれるエネルギーを
松本の山奥から立ち昇らせようと思います
どうぞ、足をお運び下さい

アーティストとともに、みなさまのご来場をお待ちしております
吹き抜ける風の感触を、ともに味わいましょう

心をこめて

2012年8月15日
Arts&theater→Literacy
亀田恵子