第二回 道即是空相聞円坐

東京都西多摩在住、みっちーこと、金子実千枝さんから案内文が届きました。

円坐の案内文は道中看板というより円坐の顔であり家でいうなら正面玄関です。

様々なまなざしや光に照らされ目の前の相手にふれると、
死ぬことは人生の終わりではなく時をこえ生きている豊かな位相だと感じる人もいらっしゃいます。

一方で自分の思い込んだ世界が現実だと固く信じ承認を求める人は、
事実を消し、人を追い遣り、現場から離れ、世界を征服し現実に固執します。

それら二つの相容れない世界が接し交わるとどうなるのでしょうか。

みっちーとくぅが向き合って、息を合わせ、行き合い、
生き合い、ふれあうと、ひょっとしたら発火し、爆発するかもしれません。

ふたりの影の向こうから、絶えずまなざすお天道様。

射し込むお天道様の光に照らされ、影舞う舞台を見ていただき、
参集いただいたお客様とともにご縁の坐舞台をご一緒いたします。

それでは、お申し込みいただいた方に金子さんから
会場等詳細のご案内をしていただきますので、お問い合わせください。

このたびのご縁をお待ちしております。

道即是空相聞円坐守人 有無ノ一坐 松岡弘子

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金子実千枝さんの案内文
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皆さま、道即是空相聞円坐のご案内です。

前回の道即是空相聞円坐から2年以上も時が過ぎてしまいました。

私から松岡弘子さんとの円坐を呼び掛けるには、時間が経てば経つほどに、呼び掛けはまだ出来ないとなっていました。

この2年の間で私の頭の中でくぅがドンドン増えていきました。

有無ノ一坐副坐長、有無ノ一坐四氏の中で各々に、組み合わせで、互いに照らし合う様のあらわれ、映し出される彩りが変わると言うか、くぅの姿はドンドン大きくみえてくる。

全てみたい、知りたい、わかりたいと思ったけど、それは無理なことだと自分に言い聞かせる様になり、自分の中で色んな感情や思いをドンドン押し込めてしまい、自分を納得させれる事やものを探すように、私はなっていたと思う。

でも自分を納得させれるものは全く無く、湧き上がる感情、悔しさや苛立つ思いも感じつつ、有無ノ一坐のいる場へ足を運び、くぅの側まで行く私がいた。

円坐の中で直にくぅに、“みっちーがいない“ “みっちーと何も始まってない“ “何かやってる“ と言われる言葉に、一番初めはショック状態。

「えっ!西に、石切稽古に行き始め、西多摩にもこれから来て貰おうとしているのに、今までの事は何も無いの」

「じゃ、どうすれば、何何何・・・。」訳わからぬ状態が続く。

くぅはいつでも、真正面から来る。

母との未ニ観は、くぅが守人で西多摩まで来てくれたから体感出来た時間でした。昨年の母を前にして未ニ観が置けた事、そして母の言葉を未ニ観という形で残せた事は、わたしにとってとても大きな出来事で、母の存在を守人松岡弘子氏によって届けられました。

くぅは未ニ観での言葉を製本して母の誕生日に手渡してくれて二人で一緒に音源を聞き、私だけのスペシャルバージョンでふるさと相聞茶堂をやってくれました。

凄く凄くスペシャルなことが起こるのに・・・。

わたしは・・・。

母とくぅは違うのに同じ様な所を感じる。

私が痛いと感じる所をスパっと突くので、言葉だけでなく態度を見られているので、私は説明や上手い言い訳が出来ないから黙りこむという対応をしていたと、今は思う。

秋の西多摩円坐は、自分で認めきれない私の姿が、円坐でより明らかに出た円坐で、一緒に円に坐った皆さんによって、私の姿勢が色々な言葉によって置かれていきました。

くぅには “全て棚上げしている状態であるから“ “わたしはみっちーに関わる限りは、関わっているし触りまくるし、こっちからも言うけど、そこに対しては何も起こってないので、それは、こっちに向かわないと難しいと思う。それだけの事。“ “ハッキリと釘を刺す“ “ハッキリと差し込んだままそのまま抜かずにいきたいので“と

言葉が届く。西多摩円坐は、またスペシャルでした。

秋の西多摩円坐が終って、きくみるはなす松本ヴィオパーク劇場縁坐舞台公演に、西多摩円坐にもご参加頂いたお二方と道中も共に参加出来たことで、次の道即是空相聞円坐をやりたいとなりました。

私は、一番最初に「次は、みっちーから円坐やろう!って声を掛けてね。」と、くぅから届けられた言葉を「ちょっと待ってて下さい。」と言ったまま、ずっとずっと待たせてしまっていました。

直接向かってくれる人だと思ったから、また進める事が出来るかもしれないと、差し出された手にドキドキしながらも、くぅの手に触れたから、道即是空相聞円坐が始まったのに・・・。

くぅとやりたいから待って下さいと言ったはずだったのに・・・。

くぅと一番芯の話をしたいのに、でも、もうぶつかり痛いのは嫌、シンドいのは避けたい、となる私もいる。そうであっても先ずは、

くぅに最初の返事を返すことから、ここから始め進み出したい。

何度でも打ち直していく。

今回、静岡の地で、道即是空相聞円坐を開催いたします。

私の仕事の起点は静岡であり、この静岡から始まりました。

そこで出会った方々の存在は今でも大切にあります。私が精神的にシンドかった時に、便りを届け続けてくださった先輩が今も静岡にいます。私が返信を返せない状態だったのにずっと届け続けてくれた人がいる。

私は、人と上手く会話のやり取りが出来ません。同時に喋ってしまったり、会話は人と交わすことなのに、答えを全部一人でもらしてしまいます。黙りこんでもしまいます。

自分の思ったこと、気になることにじっくり向かい続けることを止めてしまいます。

でも人に向かっていく稽古が、日々の暮らしを心身共に健やかに暮らすことには、外せないと、やはり今、思います。

出来ない自分のところから、目の前の人に向いて、向かって行くところから、また歩を進めていくしかありません。

静岡の地にて、皆さまのお越しを心よりお待ちしています。

宜しくお願いいたします。

金子実千枝

< 第二回 道即是空相聞円坐 >

日時:令和6年2月25日(日)10時半〜16時半
場所:静岡駅近く
守人:松岡弘子・金子実千枝
会費:7,000円
申込:micchi6@au.com 金子実千枝まで