開始直前、2024年度生駒石切円坐守人十六番稽古ご案内

今手元に地元の町会から配布された「老い支度ノート」があります。
自分には必要ないなと思ってこたつの上に放置しておいたものですが、
今朝、ふとその表紙に記された言葉が目につきました。

「永久保存版~最後まで自分らしく生きるために
老い支度ノート」とあって、「名前」の横に空欄があります。
そこに「橋本久仁彦」と記せということですね。

ページをめくると「老い支度ノートを記入する前に」という文章が載っています。

「あなたがもし認知症になり周囲の人の介護をうけるとき、
周りの方にどのように接してもらいたいでしょうか。

このノートに記入しておくことで今までの人生を家族や周りの人たちに知ってもらい、自分に合った、プライドを大切にした関わりをしてもらうことにつながります。
自分の望む介護をしてもらうことであなたが希望する生き方へとつながるでしょう。

この老い支度ノートがあなたの信頼する人たちとの話し合い(人生会議)のきっかけになれば幸いです。
元気な時から大切な人へ思いを伝え、自分の希望する人生を歩むための老い支度をはじめてみませんか?」

その下に補足があります。

「※人生会議とは、アドバンス・ケア・プランニング(ACP)の愛称です。アドバンス・ケア・プランニングとは、あなたの大切にしていることや望み、どのような医療やケアを望んでいるかについて、自ら考え、あなたの信頼する人たちと話し合うことをいいます。」

ノートの内容をパラパラとめくってみると「プロフィール」や「私の性格」「日課」「わたしの趣味」「大切な人へのメッセージ」「人生の年表」などのページがあり、

最後に「人生の最終段階に備えたわたしの思い(事前指示書)」と日本の白地図があります。

事前指示書には、延命治療を望むか望まないか、痛みへの対処や病名告知をどうするか、そして最後を過ごしたい場所を記入する欄があります。

さらに1ページ丸ごとの日本の白地図が載っていて、

「あなたが住んだ場所、家族・知人が住んでいる場所、仕事場、旅行で行った場所などを記入してみましょう」となっています。
「人生会議」という言葉を見て、僕はすぐに自分の仕事である「円坐」と「人生芸能」を思いました。

日本の白地図には「この世の名残り旅の一坐、ふるさと円坐街道」で訪れた場所を、一坐として同道した仲間の名前とともに記入したいと思いました。

さらに日本各地で有無の一坐の円坐舞台仲間として活躍する守人たちと、九州や四国の土着の仲間、侠客たちの氏名も刻みたいです。

円坐は医療やケアを目的にはしていませんが「プライドを大切にした関わり」という言葉は、そのまま円坐守人の態度に通じます。

円坐におけるプライドとは、日々の暮らしに直結した人間としての尊厳と敬意を生きることであり、
その実現のために不可欠な生きることへの誠実な姿勢、人と関わることへの真摯な態度のことです。

言葉にすればそれは真剣さ、誠実さ、懸命さ、切実さ、といった単なる形容詞になりますが、
これらはそのような態度をすでに生きている人との生身の関わり合いの中に、目には見えない精神的生命として常に新しく生まれるものなので、個人的に体験するまでは「知る」ことができません。

「真実の愛」や「命をかけた友情」が、それを自分が個人的に体験するまでは知りえないのと同じです。
今、世界中の人々は、心の底でそういう精神的生命を体験したくてたまらないのかもしれませんね。

僕は自分の「老い支度ノート」に
「向こう側へ往く自分と時を越えて一心同体である精神的生命」
の欄を付け加えたいと思います。
この欄によって、「老い支度ノート」は本当の意味での「永久保存版」となるからです。

☆☆

伊勢湾の大海原を臨む、晴れた日には夕陽の赤い光が一面にあふれる美しい場所で、
高度な意識性と土着の質感を保った非構成的な場を主宰し続けている畏友からメールを頂きました。
参加者の方と影舞をされたことを連絡してくださったのでした。

そのメールは有無ノ一坐坐長の橋本久仁彦と副坐長の「くぅ」こと松岡弘子、音響の橋本仁美、舞台の橋本悠の四人に宛てたものでした。

有無ノ一坐の四名は、円坐と影舞と未二観を「人生の道」として生きる自分たちの生き方を「人生芸能」と位置付け、稽古と探求の毎日を送り、そのためそれが生業となり仕事となっています。

資格制度や学校や協会を作らず、人格と円坐と舞台だけで絆を結んだ仲間を日本各地に訪ね合い、日常や世界をひとつの円坐舞台として生きています。

頂いた畏友のメールの言葉から僕は有無ノ一坐の仕事と生活への敬意を感じることができました。
有無ノ一坐から離れた場所で影舞を実践することについても筋の通った挨拶と関わりをしていただいたと思います。

このような態度と行動を示してくださる人の存在に改めて感謝と敬意を捧げるとともに、この友との関係を末永く大切にし、その仕事と生活に幸あれと願います。

またこのような人物やそのお仲間にこそ、ぜひ有無ノ一坐の仕事も追認して頂き、影舞も遠慮なく試みて頂き、共に道を歩ませて頂きたいと思います。

友の言葉を少しお借りしてここに掲載させていただきます。

僕の言葉よりも、実際の具体的な態度で示してくださった友の言葉の方が、生駒石切円坐守人十六番稽古の守人挨拶として僕がお伝えしたい大切なことを、よく表現していると思うからです。

この友の態度は、我々が資格制度や学校や協会よりもはるかに価値があると思っているものです。

「・・・

これまでやってきた身体のワークよりも、
より密度の高いものを求めているように思われたので、
Sさんと、影舞をやってみることにしました。

これは、はしもとさんたち有無ノ一坐の皆さんが、
道として行われているものなので、わたしは、それを教えたり、導いたりということは出来ないけれど、

・・・

これは、現時点で、有無ノ一坐の皆さんが行っているものと、
同じでも、違うでも、比較することは出来ないと断った上で、

一度、若干、わたしが、舞っている最中に、補足的な説明(これが余計と言えば余計なのですが)を加えながら、
わたしの理解する範囲での影舞を行いました。

・・・一通り、一礼から一礼まで行いましたが、
あくまでも、さわり程度のものという認識で行いました。

・・・わたしからは、これ以上は、はしもとさんや、くぅさんがやられている場で稽古して欲しいと伝えました。

Sさんが、そこまでやりたい思いがあるかどうかは、まだ確認はしておりませんが、機会があれば、学びに行きたいということは言っていました。

これまで、わたしは、少なくとも、わたしの理解している範囲で、だとしても、影舞をやってみるということは控えていましたが、今回、かなり注釈を加えてとは言え、形だけでもやってみたということは、やはりご報告しておくことだと思い、ご報告いたします。

後からご報告して、どうなるものでもないとも思いますが。
形式や形だけで、影舞を理解、解釈しないように、Sさんには、極力伝えました。

Sさんが、自ら稽古に参加しに行くということもあるかもしれませんが、
また、よい機会があれば、一緒に伺うことも考えております。

可能な限り、明瞭な判断で行ったと思いますが、

・・・

Sさんに対して、間違った導入をしてしまったことになると、
Sさんにも、皆さんにも大変申しわけないです。

わたし自身は、なるべく、Sさんに、
皆さんから、直接、影舞を稽古出来る機会を、
作りたい思いです。

また、そのようなこともご相談させてください。
今日は、このようなご報告を申し上げます。
よろしくお願いいたします。」

あらためて、この文面を送ってくださった友に深謝いたします。
そしてこれからの道行きのよき道連れ、人生の友としていざ、共に参りましょう。

以上、開始直前となりました2024年度生駒石切円坐守人十六番稽古へむけての
僕からのご挨拶としたいと思います。

引き続き以下に有無ノ一坐守人のご挨拶を掲げます。
よろしければどうぞご高覧くださいませ。

有無ノ一坐 橋本久仁彦

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

新年から地震や事故など不穏なことの連続ですが、
そういった不安や逆境に負けず今年一年もどうかよろしくお願いします。

石切円坐守人稽古では円坐という無条件の場において
守人が何を見てどこを目指しているかということや、
1年間の長期の円坐でご自身の対人関係やコミュニケーションの

一番原始的な部分を注意深く観察していき
意識と肉体と状況との一致(自己一致)を目指していきます。

自己一致をすることで現在行き詰まっている対人関係の進め方や考え方、
過去の思い出したくないトラウマへの触れ方、
コミュニケーションへの苦手意識の払拭ができます。

対人関係への経験値や物事の正確な捉え方などを
リアルタイムで繰り返し追求していくのが円坐ですが、
物質的な成果や成功を納めるものではないので
哲学的で日常の役に立たないと思われるかもしれません。

しかしただ働き続けて何も問わず生きていくだけというのも
健全だとは思えません。

円坐の成果とは何かを強いて答えるなら、
その人の日常生活と自分自身の内面との乖離を自分で見つけ
自分の意思でそのバランスを取り戻す行為だと思っています。

バランスを取り戻した後は自分の行きたい場所ややりたい事が明確になり、
自分に嘘のない取捨選択ができる様になるので、

今回の円坐ではそこが一つの着地点になると思います。

自分という人間は一体何者なのか
これからどう生きていきたがっているのか、

世の中に不思議は多々あれど世界の一番の謎は
自分自身だと思うので
他人の力も借りながら一緒に追求していきましょう。

有無ノ一坐 橋本悠

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「人が関わる」ということそれ自体を、被害的にうけとる。
相手の言動によって「傷ついた、傷つけられた、怖い」という立ち位置に入る。

当の相手側も、その態度をみて「言い過ぎてしまったかな」とか
「この人は、もしかしたらこうなのかな、ああなのかな」とおもんぱかり、

そもそもは筋の通らないことをされているのが事の発端だったはずなのに
「傷ついている」という理由から、筋の通らなさは棚上げにしてしまって
これ以上関わると相手を「傷つけるんじゃないか」と考え追及の手を緩める。

こんなやりとりや関係性が現代日本には横行してしまっているので、
誰も筋の通ったことを言えなくなっています。
これも脅しの一種です。

筋の通ったことを言おうとすると、それを封じ込めるために
一昔前は高圧的な態度や実際的な暴力で脅され
ねじ伏せられるということが行われていましたが

今は逆に被害者の立場、弱者になって
その弱者が「傷つけられた、怖い」を盾にし
周りを都合よく振り回すという、逆の脅しです。

本当に傷ついた人や怖がっている人がそんなに力強く周りを振り回したり、
理路整然と自分の状況を説明することができるでしょうか。

口では「怯えている」とか「怖い」という
言葉はいくらでも言えます。

人は演じることができる、ということを
人々は忘れています。

あるいは、それを見ないようにしたほうが
その人にとっても都合が良いのか。

相手のことを信じようとするのも良いですが、
その前に、その人の言動が信じるに値するのかを
見極めるのは必須の作業でしょう。

よくよく突き詰めて考えれば相手のことを
ほとんど何も分かっておらずまともに関わってもいないのに
その人のことを信じる、というのはあまりに浅はかすぎます。

筋が通らないことに対して
感傷的な行動と筋をずらした理屈で言い返し言いくるめ、
都合の良いように環境設定してくるのが現代の暴力です。

ここに対抗するためには、「傷ついた・傷つけた」
という関係性の論理や態度を突破し
話をずらされ煙に巻かれた筋を再び元に戻す
足腰をつけねばなりません。

この論理と態度がどんなときに発動し
どのように展開してまわりに通用するまでになっていくのか、
どうしたらこの暴力から脱し
筋の通ったやり取りに向かえるのか。

それが起こった現場に何度も立ち戻り
言動を辿りなおすことによって、
そこに対抗できる足腰と人間関係を
見極める視力を身につけることができます。

一年かけて互いに稽古・研鑽していきましょう。
石切の稽古場でお待ちしています。

有無ノ一坐 橋本仁美

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

自分の思い通りにならないことがあると、突然キレたり、
苛立ちや嫌悪を感じて自分のなかだけで肥大させた感情に酔い、
勝手に結論を出し一方的に対話や会話も断ち切って無視し始める。
同時に、相手が悪い、おかしい人だ、わかんない!と決めつけてレッテルを貼る。

そのような自動運転になった思考で相手の前から去る前に、
踏みとどまって相手の言葉を聞き、相手を見て、相手と話すという一歩が大事で、

その相手との対話が、そのまま自分との対話となり、
大事な人間関係に大きな影響を与えることになります。
それが、相手と向き合い、更に、自分と向き合う、ということになります。

嫌な相手から逃げるのは勝手ですが、都合のいい人とだけ関わるという、
狭い人間観で生きるということがどういう事なのか、
他者と深く関わって考えるいい機会にもなります。

いじめや虐待は、そういったレッテル思考によって、
自分は良い事をしているという正当性を盾にして加速します。

人間関係の現場において非常に精密に観ていく必要があり、
いい人そうだとか、きっと良くない人だろう、というイメージで
判断し現実化すると、更にそういった状況が温床となり、
自動操縦思考は、自らの手を汚さずに、精神的な殺人を決行します。

円坐では、そういった一見良い人だったり、可愛らしかったり、
優しそうな人だったり、被害者の人だったり、人格者のふりした人などから、
なぜか、本人には意識できないような無象有象のものや、
非常に巧妙に人のエネルギーを吸う鬼が出歩きます。

円坐守人とは、ご縁を大切にし、この世の鬼たちと戦う者であり、
自分の中の最も醜く弱い己を破壊し闘う者であり
「創造=破壊(Creative Destruction)」の精神で前進する者である、
という観点で、わたしは今年度の稽古を担います。よろしくお願いいたします。

有無ノ一坐 松岡弘子

生駒石切円坐守人十六番稽古2024

【日程】

一番稽古2024年2月18日
二番稽古 3月17日
三番稽古 4月21日
四番稽古 5月19日
五番稽古 6月16日
六番稽古 7月21日
七番稽古 8月18日
八番稽古 9月 8日
九番稽古 10月20日
十番稽古 11月17日
十一番稽古12月15日
十二番稽古2025年1月19日

※十三番から16番は個人稽古
※いずれも日曜日10時~18時
※会場:東大阪市石切町の民家

詳細は橋本久仁彦までお問合せください。

       以上。